長男の誕生日

今日は長男の誕生日 ~出産の思い出~

  27年前私は長男を出産。その出産は難産で大変でした。毎年この日が来ると出産を思い出します。1991年10月12日 12:01分に誕生。それはそれは難産で苦労した分感動でした。検診で5分おきに陣痛が来ていることも感じなく微弱陣痛で即入院といわれ入院。まったく陣痛を感じなく、陣痛促進剤を1本点滴で入れられました。点滴が終了しても陣痛は感じなく、再度もう一本点滴されました。看護師だから促進剤2本も施行したら陣痛はかなり強度になるのは予測していましたがいきなりの激痛がはじまりじっとしていられなくなり、うなって声を出すほどでした。となりのベッドの妊婦さんが心配して私の腰をマッサージしてくれたのを覚えています。

<p分娩室に入り、陣痛に合わせていきむのですが頭が大きすぎて、出てこなくそのうちに、胎児の心音も弱まり普通分娩から吸引分娩へ変更。しかし吸引器が長男の頭からスポッと大きな音をたてて外れ吸引分娩できなくなり、とうとう鉗子分娩へ変更といわれ慌てました。先生や看護師も慌てていてこの子は無うまれてくるのかしら?という疑問と恐怖。鉗子は手のひらサイズに近い大きさで、とても痛く会陰が四方に避けてたそうです。私は後になってしらされました。心音も弱まっていて医師が慌てているのを感じました。祈る思いで身をまかせ分娩時間は1日半かかりました。生まれてきた我が子は全身紫で呼吸もすぐしなく焦りましたが1分30秒くらいで大きく泣いて安心したのを覚えています。 <p生後8か月くらいで後天性の免疫不全になり、入院ばかりの生活。命も危ない時期もありましたが、4歳で治癒しました。短いようで長い治療でした。 <p長男は中学高校と私立でラグビー部に入り全国大会を経験し、大学でもラグビーを続けラグビー日本代表にも選ばれ、親として苦労しましたが最高のプレゼントをもらいました。今はもう社会人として有名な広告代理店で勤務しています。

 

小児の発達過程

小児の発達はとてもはやく驚きますが、自分の子供を育てているときは無我夢中でした。看護学校で発達過程を学習。自分の子供を育てながら、学生の時に学習した発達過程を重ね合わせ懸命に育児したことを思い出します

 

生後1か月:相手の顔をじっと見つめたり、音に反応

生後2か月:物の動きを追ったり、少し喃語を話したり あやすと笑ったり

生後3か月:快・不快をあらわすように

生後4か月:首がすわる(長男は3か月ですわりました)

生後5か月:寝返りをする。手に触れたものを握るように。離乳食開始

生後6か月:手から手に物を持ちかえる。喃語がさかんになる。人見知りがはじまる

生後9か月:つかまって立つ

生後10か月:ハイハイする。バイバイをする。

生後11か月:つたい歩き。母指、示指、中指で物をつかむ

生後12か月:ひとり歩き。一語文を話す 離乳の完了

このように育児の1年はあっという間の1年で、とても懐かしく思い出されます。 いろんな思い出がありますが、それぞれアルバムに残し大切な思い出として胸の中にしまっています。あれから数十年の月日が流れ、子育ても終わりさみしくも感じる今日この頃です。今日はタンホイザー序曲を聴きながらブログ入力でした。 最後まで読んでいただきありがとうございまーす