親の死期をみとって

死期をみとって

 看護師として勤務してもう数十年がたちますが、私の父は9年前に亡くなりました。自分の勤務する自分の管理している病棟で最期をみとりました。看護師の経験は豊富でも自分の親を看取るのは初めて。

 父には糖尿病があり、ネフローゼを併発し最後は腎不全で亡くなりました。人工透析も考えました、本人が元気なころから、何も積極的な医療はしなくていい。と語っていたので本人の思いを尊重したのです。

 介護はつらく家族を苦しめ、夜間は喀痰吸引もあり、私の不眠状態はピーク。仕事も常勤で継続してました。

 自分の親の死を経験して、気づかなかったこと、父から学んだことたくさんあります。

 少しでも参考になれたらと思い、経験を活かして誰かの役にたてたなられしくおもいます。

 

いつか突然、または徐々に訪れる親の死

 個人の寿命はひとそれぞれですが、いま日本の女性の平均寿命は87.26歳男性は81.09歳になりました。女性は世界の2位。男性は3位です。凄いですね。健康への意識が高まり生活習慣病を予防するための取り組みが進んでいることが影響しているといわれています。でもいつかは訪れる「死」なのです。

 私は看護師の経験で、最期は苦しむことなく自然に死を迎えるように主治医と話し合いました。自宅で1年介護し限界まで観ていましたが、常勤で働いていたので、訪問看護や訪問入浴サービスという社会資源を活用し少しでも母の介護負担を軽減できるよう、家族で協力しました・・。

 その中で、最期を考えなければならない、決断をしなければならない時期になり、入院を選択。体はボロボロ。こころも折れていましたね・・。

 父にとって自宅が一番いいとは知っていましたが24時間365日はつらいです。息抜きが少しの時間しかなくて、母も疲れていました。

 私の決断で父を入院させ、母を休ませ、2週間の入院。疲れたらまた入院させるという方法で1年経過。寝たきりから歩けるまで回復もしましたが、長くは続きません。それでも6か月は歩いていました。なんとか10mほど

 体力がなくなってくると、食欲も低下、胃瘻(いろう)と経口と両方から栄養を摂っていました。最後に近い危篤の3か月前には、栄養の吸収もできなくなり、嘔吐の繰り返し。とうとう抹消点滴になりほとんど水分です。栄養もほとんどなくこのような点滴になると3か月位で亡くなるのは覚悟していました。入院中でおむつのいごこち悪さ、バルンカテーテルの違和感、苦痛など私に向かってわがままを話していた父も、言葉をはなせなくなり、ただ私の声には最後まで反応していました。聴覚は死のぎりぎりまできこえるのです。

 想像を絶する介護

  父の介護を通して、患者の立場、家族の立場や思いを見直す良い経験にもなりましたが、介護の負担は言葉では言い表せないほどの重い重圧でした。

 

 介護負担で悩んでいる方、ストレスを発散していますか?

 話を聴いてくれる方はいますか?

 頑張りすぎるのは体や精神力がもたなくなります。

 ほどよく頑張りましょう。たまには外出して家族で交代して観ましょう

 おもいっきり笑いましょう。

 思いっきり泣きましょう。少し気が楽になります。